「自山」を登る「欲しい靴」

「今年の夏は暑かった〜」は「いつかの夏」と比べてます。
比べないと暑いのか、寒いのか、わからないことも多いです。

よく「比較」することの是非を云われることがありますね。比較しないと、背が高いのか、足が速いのか、計算が得意なのか、絵が上手なのか、話すのが得手なのか、などがわからないです。だから「比べる、較べる」のは悪いことでもなんでもないです。

比較したうえで「評価」するときにちょっとした問題、課題があるんですね。人の評価をそのまま自分の基準にしたり、世の中にある常識的な評価をそのまま当てはめたり、そんなときに、なんだか「気持ちの悪さ」があることが多いです。斯くわたしは、斯く感じます。

世間には、様々な「評価」があり、この20年くらいでしょうか、特に日常的なものになっています。良くも悪くも「ふりまわされている」ことも多いです。

「もの・こと」にも、いろいろな面がありますね。その点々は、比べてみることはできますが、評価は「欲しい靴」いえ「星いくつ」ではわかるわけがないです。だから自分の感覚を「軸・芯」にして生活することが大切なんだろうな〜と感じます。

自分にとっても「欲しい靴」は、簡単なサイズだけではない、横幅も、柔らかさも、色も、質感も、かかとの高さも、用途も。自分にフィットするかどうかは、最後は人に任せられないです。

そのために、自分を観て、感じて、磨いておかないと、いざという時にオタオタします。「いざ」は意外に毎日起こってます。スーパーで買い物ひとつするにもね。「ひと目線」も大切な要素ですが、自分の価値観もわかっておかないと人生面白くないです。

自分の山は、自分が選んだ靴で登りたい。夏の不二(富士山)を眺めながら、そんなふうにも感じています。みなさんも「Unique」な「自山」に登りましょうね!

想像力〜イマジネーション

今年は戦後80年ということ、世界大戦、太平洋戦争って言葉も、当然に知ってはいても本当の意味で理解できていません。たぶん・・・
わたしも、戦後の豊かな時代に産まれて、生活するのにも何不自由なく育った世代です。

この時期、テレビを始めメディアで戦争関連を目にすることが多いです。「戦争はいけない」「原爆は悲惨だ」なことを見聞きしますが、なぜ戦争になったのか、どうしてその結果になったのかを考えたり、話し合ったり、そんな意見が少ないような・・・

結果がいけないのは、歴史の事実を知れば誰もがわかることですが、根本的な原因や要因は、本当に深く考えないと「わからない」んじゃないかな〜と。事実や出来事を知って「想像してみる」ことが、本当の意味での「戦争をなくすことにつながる」んじゃないかと思います。

想像って難しいです。わたしたちは七宝焼屋なので、七宝焼の歴史も少しは知ってはいます。でも、1300年〜1200年前に日本に伝わってきた時のこと、その当時の人々の想いはどんなものだったかは「想像」するしかないです。仏教や漢字が伝わってきたころだから「七宝」と呼ばれるようになったんだろうな、今でいう「宝石」のように感じたんだろうな、そんなふうに想像できます。

そのころの「渡来人」たちは、その後どんなふうに日本で暮らしたんだろうなと、別の想像もできます。そうするとおそらく、今の日本人の多くにその子孫がいるんだろうな〜なんてことも考えたりできます。「グローバル」なんてことは、今に始まったことじゃないな〜なんて、どんどん繋がって「想像」できます。

人の「憂い」って目に見えません。だから本当のところは「想像」するしかないです。「人の憂い」と書いて「優」です。「やさしい」であり「すぐれる」です。優しい人は、優れているんだな。優れる人は、優しいんだな。そんなふうに感じます。少しでも「優」なひとでありたいです。そのためには「想像力」を好ましくもっていきたいな〜なんて思います。

差別心や優越感をもたず、ひたらず、熱い心と篤い気持ちで、暑い夏を過ごしていきたいと思います。
では、まだまだアツい夏をエンジョイください!